このところ第二次世界大戦前に製造されたハンドカメラなどの修理依頼が続いています。ドイツ製のカメラがほとんどで、アドロ、マキシマなど当時の名機と言われるカメラです。その中で我が国最古のカメラメーカーである六桜社(当時小西六本店(現コニカ・ミノルタ)のカメラ製造子会社)製のリリーの修理依頼がありました。蛇腹が傷んでいたので新品に交換し、レンズやシャッターを整備して撮影したのが今回の作例です。
リリーは今から約100年ほど前の明治42年(1909年)1月に、「リリー手提暗函(てさげあんばこ)」として登場したのが最初です。手札判の乾板を使用する木製のハンドカメラとして製造されましたが、当時はまた我が国には高級なレンズシャッターの製造技術はなく、さらにレンズの国産化もはるか夢の時代でした。ですからリリー手提暗函のシャッターはドイツ製のコンパウンド・シャッターなどが備わり、レンズもダゴール(Dagor)などが採用されていました。
リリーはモデルチェンジを続けながら販売が続けられましたが、昭和5年(1930年)にボディが金属製となって一新された新型リリーとなりました。これがリリー5年型と言われるモデルで、今回撮影に使用したカメラです。ボディは縦長の直方体で、アルミ合金製で黒色の革が貼られています。前蓋を開くとベッドとなりレールの上を鴨居が前後するという方式で、世界最古のカメラメーカーであったドイツの名門フォクトレンダー社製のベルクハイルやアバスによく似た形状です。この時代もまだ国産シャッターや国産レンズの搭載は困難であったため、相変わらずシャッターやレンズはドイツ製の輸入品が様々に組み合わされていました。今回撮影に使用したリリーは、シャッターはダイアルセットコンパー(Sコンパー)、レンズは当時世界最高のレンズメーカーであったカール・ツァイス社製のテッサー105mmF4.5が備わっています。たぶん当時の最高価格の組み合わせでしょう。リリーには大名刺判と手札判があり、今回撮影に使用したのは大名刺判(6.5x9cm)のほうです。このカメラのバックに、ローレックス社製の6x9cm判ロールフィルムホルダーを装着すれば、120判(プローニー判)フィルムを使用して製造されてから80年後の今も容易に撮影できるわけです。
ところで翌昭和6年、小西六としては初の国産レンズ、ヘキサー(Hexar)を搭載した我が国のカメラ史に燦然と輝く名機を送り出します。それがトロピカル・リリーです。「トロピカル」というのは当時の木製カメラの最高級品に与えられた名称で、文字通り熱帯の過酷な環境下でも長期に渡って安定した性能を維持できように、カメラ本体は最高級のチーク材などを使用して表面は堅固なニス仕上げ、蛇腹は特別の赤蛇腹、金属部品も金メッキされるなど、贅をこらした造りになっています。このためトロピカルカメラは工芸美術品としても高く評価され、非常に高価なものが少なくありません。トロピカル・リリーは当時我が国最高のカメラメーカーであった六桜社が全力を傾けて製造した最高級品で、その美しさではドイツやイギリス製のトロピカル仕様のカメラと比べても劣らないといわれています。早田の話によれば、トロビカル・リリーがもし売りに出れば150万円以上の価格がつくはずだとのことですが、そのほとんどは博物館か第一級のコレクターの棚に鎮座していることでしょう。ぜひ一度手にしてみたいものです。
リリーはその後、昭和9年に小西六製のデュラックス・シャッターやヘキサーレンズを搭載した純国産モデルに進化します。さらに昭和12年にはボディにアルバダ式透視ファインダーが搭載された新型リリーとなりますが、これが民生用としては最終モデルになりました。なおその頃大日本帝國軍に軍用として納品されたモデルも知られています。
さて、今回弊社で整備したリリーを手に提げて撮影を楽ませていただきましたが、撮影結果はさすがテッサーというべきもので、そのシャープな描写は見事なものです。80年前の機械製品がこのように実用になるというのは、他の高級機械製品ではなかなか考えられないことではないでしょうか。カメラは本当に素晴らしい機械だと思います。
なお冒頭にも書きましたが、弊社ではこのような古い時代のカメラについても、レンズやシャッターなどの整備に加え、蛇腹の交換、外装のレストア、ロールフィルムホルダーの調達あるいは製作を行っておりますので、遠慮なくご相談ください。