★作例写真 フィルムはフジ160NS
長年に渡りクラシックカメラの紹介記事を掲載させていただいている音元出版社のアナログ誌の原稿を書いていて、今月の一枚でまだチェコスロバキアのカメラをご紹介したことがなかったことに思い当たりました。
東欧の中央部、ドイツ、ポーランド、オーストリア、ハンガリーなどに隣接しているチェコスロバキア(1918~1992)は、ドイツやハンガリーなどと同様の工業国でした。現在はチェコ共和国及びスロバキア共和国に分かれていますが、クラシックカメラを製造していた時代はチェコスロバキアとしてまとまっていた時代でした。チェコスロバキアにはいくつもカメラメーカーが存在しましたが、その中でもっとも有名で戦前から長期間に渡り多数のカメラを製造したのはメオプタ(Meopta)社です。
第二次世界大戦前の1933年にチェコスロバキア東部の都市プルジェロフ(Prerov)でオプティコテクナ(Optikotechna)社が発足しました。当初は引き伸ばし機などの暗室用品や光学レンズの製造を行い、続いて双眼鏡、ライフルスコープ、スライドプロジェクターなどの製造を開始しました。カメラの製造を開始したのは1939年頃とのことです。1937年に1930年代に全金属製二眼レフカメラを製造していた同じチェコスロバキアのカメラメーカーであったバラダック(Baradac)社を買収、1938年頃からフレクセッテ(Flexette)の名称で金属製二眼レフカメラの製造と販売を開始しました。フレクセッテはバラダック社のカマラード(Kamarad)Ⅱ型の名前を変更したものでしたが、その後フレクセッテは自社製レンズを搭載したフレクサレットⅠ型となりました。
第二次世界大戦後の1946年オプティコテクナ社は国営企業となり、同時にメオプタ社に改名しました。その後は共産圏の大手光学機器メーカーとして、軍需および民需の光学機器を生産していました。メオプタ社の民生用製品としては大型のプロ用引き伸ばし機などが特に有名で西側にも販路を持ち、引き伸ばし機のトップメーカのひとつとして1990年代まで長年に渡り全世界で販売され使用されていました。
カメラについては二眼レフのフレクサレットシリーズを1960年台まで製造、16mm小型カメラのミクロマシリーズ、ライカコピー機としてよく知られているオペマのシリーズなどを製造販売しましたが、1970年台にカメラ製造からは撤退しています。
1992年にメオプタ社は民営化され、現在もチェコ共和国の光学機器メーカーとして活動を続けています。(https://www.meopta.com/en/)
全金属製二眼レフカメラのフレクサレットシリーズは、フレクセッテほぼそのままのフレクサレットⅠ型(1939年)からスタートしました。上下のレンズの前玉をケーブルで結んで連動させ、前玉回転式でピント合わせを行うようになっていました。フレクセッテはドイツのメーヤー社のトリオプランを搭載していましたが、フレクサレットシリーズはすべて自社製レンズとなります。
戦後の1945年に登場したフレクサレットⅡ型からは、合焦機構はヘリコイドによって上下レンズとシャッターユニットを同時に前後させて行う方式に改良されました。1950年に登場したフレクサレットⅢ型でクランク式の巻き上げレバーを採用しますが、なぜか1955年に発売されたフレクサレットⅣ型でまたノブ式巻き上げに戻ってしまいました。1958年のフレクサレットV型以降は、それまで特殊なモデルでしか対応していなかった35mmフィルムを使用した撮影機能が標準搭載されるようになりました(1964年頃発売されたフレクサレット・スタンダードをのぞく)。
1964年に登場したフレクサレットⅥ型オートマットからは、カメラ名称にオートマットがつけられるようになりました。今回ご紹介するカメラがこれです。外装革の色がかわり、明るめのグレー色になってモダンな印象のカメラになりました。1968年に登場したフレクサレットⅦ型では二重露出が可能になりましたが、これが最終機となり1970年台に販売が終了しています。
フレクサレットはとてもよく写る二眼レフカメラで、作例でもその片鱗がうかがえると思います。弊社ではメオプタ社のカメラはフレクサレットをはじめとしてオペマやミクロマなど、すべて整備可能です。遠慮なくご相談ください。