1950年代初頭、日本のカメラ界には二眼レフカメラブームが到来し、多数の二眼レフカメラが登場しました。日本製二眼レフカメラの多くが、老舗であるドイツのローライフレックスやローライコードによく似た姿と構造をしていたのに比べ、我が国最初のカメラメーカーであった小西六写真工業が送り出したコニフレックスは、とてもユニークな二眼レフでした。すでに小西六は戦前、サクラフレックスという二眼レフカメラを試作していたという歴史があります。サクラフレックスについては、2008年8月の今月の一枚でご紹介していますのでぜひご覧ください。
昭和27年(1952年)12月に発売が開始されたまったくの新設計の二眼レフカメラ、コニフレックス(Koniflex)は、まず撮影レンズの焦点距離が他の二眼レフではほとんど例をみない85mmで、これはライカ判では50mm標準レンズに相当する画角です。これに対して一般的な二眼レフカメラのほとんどは75mmあるいは80mmの焦点距離を採用しています。テッサータイプのヘキサノン85mmF3.5レンズは、非常に鮮鋭な描写力を持っていますが、85mmレンズを無限遠位置で固定してボディを設計するとボディサイズが厚い大きなカメラになってしまいます。コニフレックスはそれを避けるため前板が二段繰り出し式になっていて、前板が撮影可能な無限遠位置に繰り出されるまでシャッターは切れないようになっています。これはシャッターボタンの下に突起を設け、無限遠位置より繰り下がるとボタンが押せないような仕組みになっています。
ビューレンズはビューヘキサノン85mmF3と撮影レンズより明るく、さらにファインダーを隅々まで明るく見せるため焦点板の上に平凸のコンデンサーレンズが配置されています。内蔵ルーペの拡大率は3倍でした。フレームファインダー機構も備わっています。
このカメラは日本製カメラには珍しく、120判に加えて細軸の620判フィルムも使用可能です。フィルム巻き上げはスタートマーク式の自動巻き止め式です。
シャッターユニットは当時国産最高級のセイコーシャ・ラビッドで、1秒~1/400秒とバルブに対応しています。ボディ重量は930gと当時の二眼レフの中でも、かなり重いカメラでした。発売時の価格は47,000円ケースは1,800円で、コニフレックスは性能的に優れたカメラでしたが国産二眼レフカメラの中では比較的高価格であったことや、デザインがやや古くさい印象があり、人気はあまりでなかったそうです。
コニフレックスⅠ型の改良型として昭和30年(1955年)7月にコニフレックスⅡ型が登場しました。改良点は裏蓋開閉機構の改善、二重露出防止機構および多重露出機構の装備です。さらに内部に内面反射防止用のバッフルが設置されるなど、描写の改善を図るための処置も行われました。しかしその分重量が増えておよそ1,050gと一層重いカメラになってしまいました。販売価格は41,500円と大きく引き下げられ、さらにその後も外装が少し変更されるなどの改良が続けられ価格も最終的に32,000円にまで下げられましたが、日本の二眼レフブームが1957年頃から急速に下火になったため、コニカの二眼レフは本機が最後となりました。なお前群交換式の望遠コンバージョンレンズを使用して85mmF3.5を135mmF4.5に変更できる、テレコニフレックスが1956年10月から少数製造され、これは主に海外に輸出されています。
5月現在新型コロナウイルス対策による外出自粛要請のため、浅草などの観光地は人出が激減しています。写真を撮影しに出かけることもためらわれるような状況のため、かつて撮影してあった写真を作例として使用させていただきました。ヘキサノン85mmF3.5レンズは、作例の通りとてもシャープなしっかりとした印象の写真を撮影することができます。弊社ではコニカフレックスの修理が可能です。遠慮なくご相談ください。
●作例写真:フィルムはフジNS160 PRO