写真工業2006年2月号の特集「なぜか二眼レフが人気」の冒頭で書きましたように、最近国産二眼レフカメラの修理の依頼が増えています。お祖父様やお父様がお使いだったカメラというケースがとても多く、それを整備して自分も写真を撮ってみたいというご希望です。整備後試写をご依頼いただいている場合、そのプリントを見てこんなに良く写るんですかと、驚かれ喜んでいただける方がほとんどというのも、整備している側としてはとても嬉しいことです。
さて今回は、国産二眼レフカメラの中でもっとも多くの種類を製造したことで知られるヤシカの二眼レフです。それも最後のモデルとして約10年にわたって販売が続けられたヤシカマット124Gです。
ヤシカの二眼レフは1953年のヤシマフレックスがルーツです。また会社名が八州光学精機であった時代のカメラです。ローライコードを良く真似た前板繰り出し式の比較的高級な二眼レフでした。1954年ヤシカフレックスAという価格9,500円という超低価格機種で世間を驚かせ、さらに1955年ヤシカフレックスCを11,500円で発売「三等料金で一等車に」という宣伝コピーで世間の人気を一気に集めました。この頃から二眼レフから撤退するメーカーが相次いだのですが、ヤシカはヤシカマットやヤシカフレックスの新型機を次々に投入して、シェアを拡大し不動の地位を固めました。1970年頃になると、国産二眼レフは国産唯一のレンズ交換式二眼レフ、マミヤCシリーズとこのヤシカマット124Gしか生き残りませんでした。
ヤシカマット124Gは1971年9月の発売で、1968年に発売されたヤシカマット124の小改良型で、露出計の電気回路接点に金メッキを採用して長期安定性を増したことから、金のGをつけたということです。また124は、120フィルムで12枚、220フィルムで24枚が撮影できる兼用型を意味していました。ヤシカマットには12という120フィルム専用機と、24という220フィルム専用機(輸出のみ)が存在しましたが、その改良型ということです。
ヤシカ最後の二眼レフ、ヤシカマット124GはCds式露出計が内蔵されていて、絞りとシャッター速度に連動して追指針が動き、露出計の指針と重ね合わせることで露出決定します。ピントフードの開閉が露出計スイッチを兼用しているなど気配りも良く、各部のつくりも悪くありません。初心者にもとても使いやすい二眼レフです。撮影レンズはヤシノン80mmF3.5でテッサータイプ3群4枚、実にシャープで安定した写りです。大伸ばしにも十分耐えられる高画質です。
弊社での整備は、露出計関係に問題がなければ、一般的な国産二眼レフカメラのオーバーホール料金30,000円(税別)で処置可能です。遠慮なくご相談ください。