6月15日に発売になったANALOG誌2012年夏号(音元出版 \1,500)では、アサヒペンタックスを取り上げました。日本最初の35mm判フォーカルプレーンシャッター式一眼レフカメラであるアサヒフレックスⅠ型から、M42マウントの最後のカメラであるアサヒペンタックスSPⅡまでをご紹介しています。
1960年旭光学工業株式会社は当時世界最大のカメラ見本市であったドイツのフォトキナに、TTL測光方式を採用した試作機アサヒペンタックス・スポットマチックを出品して世界中の注目を集めました。ファインダースクリーン上に腕木を出し、その先端に取り付けられたCdS受光部でスポット測光するという方法を採用していました。その後測光方式の改良が続けられ、1964年に発売されたアサヒペンタックスSPは、接眼部の左右にCdS受光部を2個置くという優れた方法を考案したのです。測光方式はスクリーン全体を均等に計る平均測光方式でしたが、「スポットマチック」の名称が世界的に有名になっていたことから、カメラ名はそのままスポットマチック、略称でSPと呼ばれるようになったのです。
M42マウントにはレンズの開放F値を伝達する機能はないので、レンズを撮影する絞りまで絞り込んで測光する、いわゆる絞り込み測光方式です。撮影後に開放絞りに復帰するようにさせるため、マウント脇の測光ボタンを押すと設定した絞りまで絞り込まれて測光でき、シャッターを切ると測光ボタンも自動で復帰して開放絞りに戻る機構を開発しています。これは慣れればたいへん使いやすい方式でした。また過去のすべてのタクマーレンズと多くの他メーカーのM42マウントレンズが、絞り込み測光による正確な露出が可能でした。
アサヒペンタックスSPは大変な人気機種となり、1960年代の世界の35mm判一眼レフをリードした名機として、旭光学のみならず日本のカメラが世界を席巻する原動力のひとつとなったのです。
写真のカメラは、今回の写真を撮影した私のアサヒペンタックスSPですが、ちょっとした曰くがあります。その昔、早田にカメラ修理の弟子入りを志望すると、早田から壊れたカメラを渡されて、それをとりあえず直してみなさいといわれるのです。私が渡されたカメラは、ペンタックスSPでした。最初のSPはシャッターの調子がどうしても良くならず修理できませんでしたが、2回目に挑戦したSPは幕交換して各部を綺麗にして注油、調整したらとても調子よく作動するようになりました。しかし修理完成後に、当時の本業の仕事のストレスのせいだと思いますが血尿が出てしまい、早田からは修理で血尿ができるようでは弟子になるのは無理ということで、あえなくこの話は没になりました。血尿の原因は尿管結石でしたが。そのペンタックスSPは、その後十数年経っても順調で今回の作例の写真を撮影できました。
さて、話を戻して、タクマーレンズは元々レンズメーカーであった旭光学の看板レンズとして、大変品質の良いレンズとして知られていますが、マルチコート化を業界で最初に推進したメーカーでもあります。スーパーマルチコーティングの略であるSMCは、当時最新鋭のレンズ技術でした。もうひとつ、タクマーレンズにはアトムレンズが多いことが知られています。今回撮影に使用したSMCタクマー55mmF1.8レンズも、中玉が飴色に変色していて、放射能の影響が現れています。実際に測定してみると、レンズに極近いところで2マイクロシーベルト程度でした。
アサヒフレックスやM42マウントのペンタックスカメラとレンズの修理はご依頼が多く、もちろん弊社でお受けいたしております。この種類の国産35mm判一眼レフカメラの修理は、標準レンズと一式でお預かりすることが大変多いため、セット料金になっています。アサヒペンタックスSPの場合には、標準レンズ込みで42,000円(消費税別)が整備料金です。この費用の範囲で、ボディとレンズの完全分解整備・清掃に加え、必要があればシャッター幕交換、腐食している場合にはプリズム交換か再蒸着、さらに露出計不動の場合にはメーター部品交換、CdS交換まで行います。要するに完全に撮影できる状態にしてご返却いたします。一度整備すれば5年、10年とお使いになれることでしょう。その他ご不明の点があれば、遠慮なくお問い合わせください。