スーパー・ダン35 / エリア40mmF3.5
Super Dan 35 / Eria Anastigmat 40mmF3.5
今月は非常に珍しいカメラをご紹介いたします。お客様から修理のご依頼をいただいたスーパー・ダン35です。どのくらい珍しいかといえば、アサヒソノラマ刊「国産カメラ図鑑(改訂版)」には収録されていません。しかしMckeown’S Camera Price Guide 12th Editionには掲載されていて、大和光機工業株式会社のパックス(Pax)シリーズの先駆けと説明されています。ただしレンズがEria45mmF3.5になっていて、それは誤りのはずです。
このカメラは東京のダン写真用品株式会社が販売した?(するはずだった?)カメラですが、実際に製造したのは大和光機工業株式会社のようです。ダン写真用品株式会社が販売したカメラは、国産カメラ図鑑では初代ダンをのぞいて大和光機製のカメラのひとつして分類されています。
ダンのシリーズを簡単にご紹介しておきましょう。初代ダンは萩本商店が製造、販売したカメラで、1947年に登場しました。ダンは有孔16mmフィルムを使用し10x14mmのサイズの写真が撮れる、小型カメラでした。国産カメラ図鑑では、「ダン16」になっています。同書によれば、萩本欽一氏の父として知られる萩本団次氏がデザインして創ったカメラであるそうです。
翌1948年にはダン写真用品から、ダン35Ⅰ型が発売されました。ボルタ判フィルムを使用し、24x24mmのスクウェアフォーマットの写真が撮れるカメラでした。ダン16とはカメラの構造がまったく異なっていて、このカメラから製造は大和光機にかわったようです。レンズはダン・アナスチグマート(Dan Anastigmat)40mmF4.5、ピントは目測、シャッターはB、1/25~1/100のレンジでした。フィルム送りは赤窓式で、フィルム交換の際には裏蓋が開きます。
続いて登場したダン35Ⅱ型は、デザインはよく似ていますが、フィルム送りを自動巻き止め式としています。またフィルム交換はライカのような底蓋開閉式になっています。 1949年にはダン35Ⅲ型を発売しました。ボディサイズが大きくなり、フォーマットを24x32mmの俗に日本判と呼ばれる横長にしたカメラです。レンズはダン・アナスチグマート40mmF3.5と明るくなり、フィルム送りは自動巻き止め式です。巻き戻しノブも備わっていて、35mm判フィルムをそのままいれることもできたそうです。同じ頃登場しているダン35Ⅳ型は、フォーマットが24x30mmでホディシャッターになり二重露出防止機構も備わっていますが、ボルタ判専用です。このシリーズの最終機は1950年に販売されたダン35M型でした。
さて今回ご紹介するスーパー・ダン35は、それまでのダン35とはまったく異なる新設計のボディに、連動距離計を搭載した高級仕様のカメラで、なにより35mm判フィルムを使用してライカ判(24x36mm)のフォーマットの写真を撮れる点は今でも充分実用になります。手にしてみると非常に小型のボディで、外観デザイン、特に軍艦部はバルナック型ライカにとてもよく似ています。しかしレンズシャッターですし、もちろんレンズ交換もできませんので、機能的にはライカにはるかに及びません。 ピント合わせは距離計で行うのですが、無限遠位置にまずは鏡胴を繰り出す必要があります。構造上ピント精度がやや不安に感じますが、試写結果で見る限り大きな問題はないようで、すべてのコマをきちんと撮影できました。 レンズはエリア40mmF3.5(Eria Anastigmat 40mmF3.5)で、レンズ構成は不明ですが、作例をご覧いただければわかるように、とてもシャープな写真が撮影できることに驚きました。
問題はシャッターで、整備するために分解したところ、中にスローガバナーなどの部品が入っていませんでした。また今回お客様が整備を依頼された一番の理由は漏光で、分解してみると遮光材が入る必要がありそうな所に、まったくなにも処置がされていませんでした。これらのことを総合すると、このカメラ自体は完成品として販売されたものではないようです。実際スーパー・ダン35が発売されたという記録はないようで、このカメラを販売する前にダン写真用品は倒産してしまったのだそうです。
結局このカメラは完成しなかったのでしょう。 しかし国産カメラに詳しい方ならお気づきのように、このカメラは大和光機のパックス35に非常によく似ています。スーパー・ダン35は大和光機で製造されていて、実質的にパックス35の試作にあたると言って良いのではないでしょうか。 当時の事情は今のところこれ以上わかりませんが、非常に良く写る使いやすいカメラなので、スーパー・ダン35として世の中に出なかったことが、とても残念に感じられました。