弊社が創業して今月で16年周年を迎えました。仕事柄世界に数台から数百台しか存在しようなカメラに触れる機会というものが時々あります。世界のライカコピーカメラはそのほとんどを手にしたことがありますが、まだ一度も手にしたことがなかったカメラがニッポンです。
ニッポンはよく知られているとおり、第二次世界大戦中に大日本帝國陸軍がライカの入手難に対応すべく、精機光学(現キヤノン)からスピンアウトした技術者がたちあげた光学精機社に完全なライカコピーの製造を極秘に命じて作らせたカメラとのことです。光学精機社は当時ライカの修理や改造などを行っていたそうです。ライカはナチス・ドイツの敗戦前はドイツ特許に守られて、完全なコピーカメラを作ることは不可能でした。実際にはソビエト社会主義共和国連邦のフェドとゾルキーのようなコピーカメラが存在しますが、工作精度からみればライカには遠く及びません。しかしニッポンカメラは各部のサイズなどライカDIIIと完全に同寸で造られており、ライカの各種アクセサリーをそのまま使うことができました。もちろん性能的にライカに及ばないところもいろいろありましたが。
ニッポンは大日本帝國陸軍には20台納品されたと言われていて、敗戦後はごく少数が市販されたそうです。そして光学精機社はニッポンカメラ社、さらに後にニッカカメラ社となり、昭和24年頃から日本光学よりニッコールレンズの供給をうけるようになったニッカカメラは、日本を代表するライカコピー機として高い名声を得ることになります。
さて、そのニッポンカメラ、それも製造番号20番という大日本帝國陸軍に納品された最初の20台のうちの一つの整備を先日依頼されたのですが、弊社社長の早田が可能な限りの手を尽くして、写真が撮れる状態に整備することができました。ライカをコピーしたといっても、実際にはライカとまったく同じ部品が造れなかったところが多々あり、例えばスローガバナー部品はまったくのオリジナルであって、それがひどく腐食していたため低速機構は回復できませんでした。オリジナルの部品を無理に変えてしまっては、こうしたカメラにとってもっとも大事なオリジナリティが失われてしまいますから、そうした処置は行わず、シャッター幕などの消耗品の交換で処置しています。
整備終了後実写してみました。K.O.L.(のちのサン光機)製のクセベック50mmF2レンズの状態は良好で、ズマールのコピーとされるレンズらしく、開放ではやや甘くて絞るとシャープという描写を楽しむことができました。
なおニッポンカメラは偽物が多いことでもよく知られています。ライカDIIIやニッカカメラをベースとした偽物が、最近も年に数回は登場しているそうです。安易に手を出すと痛い目に遭います。このカメラは内部構造がライカやニッカとは異なりますし、この分野の第一級の研究者の方に本物であることを確認していただきました。この戦中型のニッポンカメラは現存数わずか3台と言われており、非常に貴重なカメラとレンズです。
★フィルムはフジ業務用フィルム(ISO100)