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今月の一枚  2006年12月
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5
Ikonta 520/18、Tessar 50mmF4.5

ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5   ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5
  作例1 仲見世柳通り F11 1/250 マコカラー200
   
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5背面から。赤窓には直射日光を当てないように注意。



ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5作例2 めぐりん
F11 1/250 マコカラー200
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5折りたたんだところ。



   
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5シャッターはコンパーラビッド、レンズはテッサー50mmF4.5。



   
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5横から。

   
ベビーイコンタ(520/18)、テッサー50mmF4.5内部。ツァイス・イコンフィルムのシールがすてき。

   
     

解説

 1926年ドイツ4大カメラメーカーの合併により発足したツァイス・イコン社は、当初合併した各メーカーのカメラを、ブランド名を変えて販売して いました。1929年ようやくツァイス・イコン社初のオリジナル・カメラが登場します。それがイコンタでした。

 イコンタはカメラ史上、世界初のスプリングカメラという輝かしい勲章を与えられています。それだけではなく販売も大成功し、世界最大のカメラ メーカーであったツァイス・イコン社の経営を支えたと言われています。スプリングカメラとは、蛇腹を使用したフォーディングカメラ(折りたたみ式カメラ) で、前蓋を開けると内蔵された強力なスプリングの力で、レンズとシャッターユニットなどが装備された前板部が撮影位置に自動的にすみやかにセットされ、撮 影が可能ななるカメラのことを言います。

 この画期的なイコンタの開発を主導したのは、元のコンテッサ・ネッテル社を率いていたナーゲル博士だそうです。特にそのスプリング機構の開発は 彼の力なくしては成功しなかったと言われています。しかしナーゲル博士はイコンタの発売を前にしてツァイス・イコン社を去り、独自にナーゲルカメラ工場を 設立、1931年にはアメリカのイーストマン・コダック社に買収されてドイツ・コダック社となるのですが、ここで彼は35mm判スプリングカメラの名機中 の名機、レチナシリーズを開発し世に送るのです。

 さて、イコンタは最初6x9cm判のイコンタC(520/2)からスタートし、最終的にライカ判(24x36mm)から6.5x11cm判まで 7種類もの異なるフォーマットのカメラが作られます。これはいかにイコンタが大成功したかを示していると言えるでしょう。また戦後は単独距離計を内蔵した メスイコンタというシリーズも登場、さらにドレーカイル式連動距離計を備えた最上級機スーパーイコンタのシリーズは戦前1934年に早くも登場しているの です。さらにボディーに対して様々なレンズやシャッターの組み合わせがあり、とても限られたスペースでは説明しきれません。

 今回のベビーイコンタは、ベスト判(127判)フィルムを使用し、3x4cmサイズの写真を撮影する小型のイコンタです。1932年から販売さ れました。折りたたむとポケットに楽に入る大きさで、携帯性は抜群です。また組み立てた姿はかわいらしいという表現がぴったりです。
撮影に使用したカメラは、ベビーイコンタの後期モデル(1935-37頃)で、シャッターはコンパーラビッド、レンズはテッサー50mmF4.5を装備し た上級機です。テッサーは当時この種のカメラに使用できるレンズとしては世界最高レベルのものでしたから、その写りは今の基準でみても十二分にシャープ で、すばらしい写りです。なおテッサー付きにはより明るいF3.5のモデルもありました。

フィルムも容易に手に入る現在、ベビーイコンタは撮影に常用するカメラとして非常に魅力的な選択ではないでしょうか。なお弊社では、イコンタ系のカメラの 整備および修理は全機種対応可能です。整備された状態の良いカメラで、気持ちよく撮影したものですね。

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